鏡面都市

s2より

 これは、SILLYWORKS が開催した WoD オンリーコンベンション2.0で配った、「ワールド・オブ・ダークネスなんてだいっきらい!」という冊子に載っていた『ワールド・オブ・ダークネス』シナリオです。執筆者のみゃーさんに許可を貰って、掲載します。

はじめに

 この史劇において、プレイヤーキャラクター(以下PC)はルールブックに基いて自由に作成して構わないが、しかし、時間が限られる場合などにはストーリーテラー(以下ST)があらかじめ作成したキャラクターを用いても良い。この際、能力の上下よりも、舞台となる都市で生活していそうなキャラクターをいかに作るかに気を配ること。

 とはいえ、この史劇は、コンベンションなどでの即席のプレイには適していない。事前に十分作りこんだキャラターをもってしないとプレイは不可能とさえいえる。また、ある程度見知った間柄のメンバーでないとプレイは困難である。プレイ人数は、何人でも構わないが増えるほどプレイに要する時間が増すということに留意すること。

 この史劇において核になるのは「美徳/悪徳」のルールなのであるが、そのゲーム的な効果(すなわち意志力の回復)はそれほど重要ではない。このルールは、理解するのが非常に難しい概念である。個々の美徳や悪徳の違いの理解、複数の美徳/悪徳のうち一番強いものだけが記述されるということ、全てのキャラクターが美徳と悪徳をもっていて、必ずしも美徳=善、悪徳=悪では無いということ、などなど。これらの概念はコアルールブックの110〜117ページを隅々まで読み込まなければ理解し切れないと思われるほど難解である。このシナリオにおいてプレイヤーはこのルールを理解しておく必要はさほどない(単にロールプレイの指針であるという認識だけで十分だ)。しかし、STはこのルールの概念を熟知しておく必要がある。もう一度コアルールブックの前記のページを通読し、その趣旨をきちんと理解しておくこと。

舞台

日本国関東地方、首都圏衛星都市、加賀美市
 人口20万人のベッドタウンであり、表面上は至って平和そのものである。

場面1:日常

 この場面は各PCの日常を描く場面である。各プレイヤーがどんなキャラクターを作ったかによって、アドリブで演出すること。そして、その中で各PCがそれぞれの持つ美徳/悪徳をどのような形で発揮しているか、それを見極めること。

 これは、後に登場するPCの「影」を演出するために必要となる作業である。

場面2:灰色の街へ

 この場面で、PC達はこの史劇の真の舞台である「裏の」加賀美市に引きずり込まれる。このイベントは、それぞれのPCに異論の余地なく訪れ、回避は不可能である。その際の演出の例を以下に記述する。

舞台2:「裏の」加賀美市

「表」から来た者たち以外は人も建物も空も全て彩りを失った灰色の、薄暗い都市である。この街は生き物も建物も全て白と黒と灰色のグレースケールで、太陽の光もまた薄暗い灰色である。「表」から来たPC達のみが、赤や青や緑などの色彩を纏っている。人口はやはり20万人であるが、「表」と異なり、治安は至って悪い。

「表」では繁華街だったところが、ショーケースの割れた廃店舗ばかりというスラムになっていたりする。

 この街の住人は、おのおのが抱く美徳/悪徳を全く隠すそぶりを見せない。隠すどころか、それを発揮する機会があれば即座に行動に移すのである。この街の住人はまさに「表」の加賀美市の住人を映す鏡であり、それはただの鏡像としてではなく、その本質をより鋭角的に映し出すのである。

 この街で特定の場所から場所へ移動する際にはダイスを1つ振り(誰が振ってもよい)、1の目が出た場合、チンピラ(ルールブックP227)1d10人の襲撃を受ける。ただし、彼らは所持品を奪ったり暴行を加えたりするだけで、命までは奪おうとしない。

場面3:異邦人

「灰色の街」の住人には、「表」からやってきた人間が「色」をもっているのが分かる。よって、PC達は奇妙な目でみられることになる。何らかの手段(交渉、脅迫、誘惑、等等)で、住人から情報を聞き出すと、PC達以外にも一人、「色」を持った人物がいるとの情報を聞きだせる。

情報…駅前の廃ビルに「色」を持った人物がいるらしい。

場面4:「色」を持つ老人

「表」の街では駅前繁華街のデパートだったところが、「裏」の街ではホームレスの集団住宅となりはてた廃ビルである。このビルの地下2階に、その老人はいる。彼の「色」は周囲と異なった色彩を放っているが、しかし、周囲の灰色に浸食されるがごとくその彩度は落ちてきてしまっているかのようである。彼は、PC達を見るなり自分と同じ所から来たと気付く。彼はこう語る。

『私は何年も前、ふと気付いてみるとこの街に彷徨い込んでしまっていた…そして、この街で、私は、自分自身の「影」と出会った。それは、とても恐ろしいものだった…私はその「影」のありようを拒否した。私は、自分自身の影を殺してしまったのだ!そしてそれは私自身のありようを拒絶することであったのだ!そうして、私はいまやこの街に囚われてしまった…もはや、あの退屈でうんざりして、でも平和だったあの街には、戻ることができないのだ…』

『もしあなたがたが元のある場所に戻ろうと思うなら、自らの「影」に出会わなければならない。そして、それを殺してはならない。なぜなら、それはあなたがた自身なのだから。「影」は、あなたがたが最初ここへやってきた、その場所にきっといるはずだろう』

場面5:影との戦い

「色」を持った老人の言葉通り、PC達の「影」はそのPCがこちら側の世界へ迷い込んできたまさにその場所に出現する。「影」はPCの口調で、このようなことを言う。「私はお前で、お前は私だ。しかしお前は私らしくない。私が自分であることを認めようとしない。己自身を欺くものよ、消えてなくなるがいい」

 PCの「影」はこちら側の世界に相応しくないPC達を抹殺しようと、攻撃を仕掛けてくる。もしこの戦闘で自分の「影」を殺してしまった場合、命の危険は無くなる代わりに、その「影」に対応するPCは永遠にこちら側の世界に閉じ込められることになる。

 この戦いに勝つためには、PC達は自分達の美徳/悪徳がいかなるものであるかを認識し、それを「影」に対して語り、「これこそが私の在りようだ、そしてお前は私だ」と宣言しなければならない。これは、プレイヤー自身が自分の作成したキャラクターを十分理解し、演じられたかどうかを試す試練なのである。STは、そのキャラクターが十分に演じられたかどうか判断する義務がある。そのキャラクターが十分に演じられていたと認められた場合、「影」は、「そうかならばやはりお前は私で私はお前なのだな。お前のいるべき場所へ帰るがいい」と言い放ち、その瞬間PCは「表」の加賀美市で最後にいた場所に転送される。これによってのみ、PCは元の世界に帰ることができる。プレイヤーの思っていたキャラクター像とSTの思い描いていたキャラクター像が食い違ってしまう場合もあるだろう。しかしそのような場合でも、プレイヤーは自分のキャラクターがこれこれこのようなプレイをしており、美徳/悪徳を表現しているのだ、と弁明し、STにそれを認めさせることができる。

終幕:World of Darkness

 本来あるべき場所へ帰り着き、自らの本性を目の当たりにしたPCがこれからどう生きるのか、それは彼ら自身の判断にゆだねられる。PCは「影」の世界で自覚した美徳/悪徳のままに生きるのかもしれないし、あくまでもそれを拒絶しようとするのかもしれない。しかし、自らの本来の在りよう(正しいキャラの表現=ロールプレイ)を忘れたとき、再びあの薄暗い世界に足を踏み入れる時が来るかもしれない…このパートは、今回の事件からPCが学んだことと、これからどう生きるのかを語らせるエンディングパートである。プレイヤー一人につき1シーンずつ演出し、この史劇の終幕とすること。もちろん、このキャラクターを次回以降の史劇のキャラクターとして用いても一向に構わない。どころか、自分自身について、キャラクターの表現について深く内省することになったプレイヤーは、より表情豊かで存在感のあるキャラクターを演じることができるようになっていることだろう。

この史劇の遊び方

 実の所、この史劇はプレイヤーがキャラクターを演じることが出来ているかどうか試すという目的を持ったシナリオである。キャラクターシートの上に記載されたデータや設定からかけ離れたプレイを実際のセッションでやってしまう、または他人がやってしまったのを見たという経験は誰にでもあるだろう。ワールドオヴダークネスシリーズはストーリーテリングゲームであり、その気になれば判定などやらなくてもよいなどと明記されている稀有なゲームである。そこを、単にデータ的な強さを求めたり、世界やシナリオから剥離したプレイをしてしまっては、せっかくのワールドオヴダークネスの魅力がスポイルされてしまうと私は考える。これは、そんなワールドオヴダークネス初心者たちに、このゲームの特色であり、2.0版になって搭載された美徳/悪徳のルールを使ったキャラクターの表現を考えてもらうためのシナリオである。

「日常」の演出

 シナリオ本編では詳しく触れなかったが、このシーンは詳細に演出されればされるほどよい。しかし、その「日常」がどんなものになるかはプレイヤー達とその作り上げたPC達に委ねられており、ここに詳しく記述するわけにはいかない。しかし、このシーンが詳細に描写されるごとに、後にPC達が迷いこむ「裏」の世界の衝撃は大きく、また、プレイヤーがPCを上手く演出できているかを、STがよく観察することが可能になるのである。これは最後のシーンで非常に重要となる。なぜならば、PCの「影」がとる行動はPCの美徳/悪徳のうちプレイヤーが演じ切れていない、まさにその部分を露骨に表に出してくるからである。

NPCの演出

 キャラクターによっては、「コネ」や「協力者」を持つものもいるだろう。そのようなキャラクターは、上記の「日常の演出」場面において、積極的に登場させるべきである。これらNPC達の「影」も当然「裏」の加賀美市に存在していて、その美徳/悪徳は露骨に顕現され肥大化されたものとなっている。このようなNPCの豹変ぶりは、「裏」の世界に迷い込んだPC達に驚きと恐怖を感じさせることだろう。

「裏の加賀美市」の演出

「裏の加賀美市」は、単にモノトーン調の視覚的に不気味な世界というだけでなく、そこに住む住人も不気味な世界である。繰り返すことになるが、彼らは自分達の美徳/悪徳を全く否定しない。全く自分の欲求や本質にブレーキをかけない人間がいかに危険で恐ろしいものか、それを表現するイベントがあるとよいだろう(舞台が日本であるにも関わらず、常にあちこちで暴動が起こっているなど)。

このシナリオの目標

 このシナリオにおけるPC達の当面の目標は、「裏」の世界から脱出することである。そのためには、情報を手に入れる必要がある。結局、鍵となる情報は廃ビルの色をもった老人から手に入れることになるのだが、その老人の情報を手に入れるためには、前項で述べたような異様な住人達と交渉するなりして、居場所を聞き出さなければならない。この情報を安易にNPCに出させるべきではない。なぜなら、見るからに(色をもった)異端者であるPC達に彼らは協力的ではないからである。なにか、自分たちの目的のために無理難題をふっかけてくる場合もありうる。

クライマックスの演出

 クライマックスシーンの演出は特に難しい。PCの影たちは、PCに明確な殺意をもって襲い掛かってくる。そんな状況の中で、PCに自分はこうであるから自分なのだ、と告白させなければならない。プレイヤーが困惑しているようなら、それをほのめかすような発言を「影」達に(攻撃を続けながら)させるとよいだろう。

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